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歌声サロン・ラウム

晴登雨読人・坂田晃司のコラム

イージーライダー誕生

イージーライダー誕生

京都保津峡にて

 

なぜオートバイを


53歳のとき、突然メニエル氏病に罹った。内耳の三半規官が不全となり体の平衡感覚が損なわれるため、船酔い症状や真直ぐに歩けないといった症状が現れる奇病である。ストレスが原因といわれる(自分はストレスには無縁だと思っていた!)。滋賀県立医大の教授に権威がおられるということで、その付属病院に入院した。1ヶ月ぐらいの入院加療により前述の症状は治まった。しかし、この病気は再発の可能性があるので、月1回の通院で少なくとも6ヶ月間の投薬・経過観察が必要であった。

幸い経過は順調で、半年後、投薬からも通院からも解放された。下手すると一生奇病と付き合わねばならぬ「悪運」から逃れ得たことと月1回とはいえ不便な通院検査(諸検査は1日仕事だった)からの解放で、心が浮き立つような明るい気分になった。この機会に、快気の記念になるエポックメイキングなことを始めようと思い立った。通院の途中、いつもバスの窓から眺めていた自動車運転免許教習所の自動二輪車の教習風景が目に入った途端、即座にこれだ、と決めた。日常的なものでないところがミソ。長年、無意識のなかにオートバイ・ライディングへの憧れがあったのかも知れない。

 

免許取得に悪戦苦闘


昭和39年度までは、自動車運転免許には自動二輪車の免許も自動的に含まれていたが、あいにく免許取得が昭和40年だった私の運転免許証には自動二輪車は含まれておらず、私の場合、新たに自動二輪車運転免許を取得する必要があった。そこで、私の自動二輪車運転免許(中型)取得への挑戦が始まったのである。

新しい自動二輪車の免許は小型(排気量125cc未満)、中型(400cc未満)、無限定(400cc以上)の三つに分かれており、無限定の合格率は政策的に数パーセント以下に抑えられているらしい。最近の自動二輪車はエンジンの性能も格段によくなり、車体の軽量化も進んでいるので中型でも以前の750ccに相当すると聞く。しかも250ccまでは車検もなく、税金も安いので、自動二輪車を普通に楽しむには250ccで十分である。中型の免許を取っておけば当面、御の字というわけだ。着眼大局、着手小局。派手な革ジャンを極め込んだきんきらきんのハーレー・ダヴィッドソンは次の話だ。

私はふだん原付自転車(いわゆるバイク)を乗り回していたので、自動二輪車でもその延長に過ぎないぐらいに軽く考えていた。教習所は、通院のときいつも眺めていたところに決めた。私が選択した曜日の受講者は、私を除いた全員が20歳前後の若者である。しかも半分近くが、女性であることに驚いた。教官も25歳ぐらいの女性ドライバー。

最初の座学の教習は順調で、まったく問題はなかった。ところが、実技の課程に入った途端、若者たちとの間にどんどん差がつき、遅れていく。若者たちは、最短のコース時間内で免許を取得していく。私は、実技テストに何回も失敗し、教習期限(自動二輪車の場合は3ヶ月)内での実技パスが怪しくなってきた。教習期限内に免許が取得できない場合は、新たに全費用を納入して最初からやり直さなければなければならない。お金の問題もさることながら、運動神経の予想外の劣化に愕然とする。こんなはずではなかったと後悔しても後の祭りだ。

 

この世には、神も仏もあった!

追い詰められた私は、丁度教習期限の切れる日に行われることになった4回目(4浪!)の実技テストを前にして、窮余の一策を思いついた。熱心に指導してくれた若い女性教官の前で聞こえよがしに「明日のテストは僕にとって最後のチャンス。よし、明日失敗したら、所詮老人の儚い夢だったと、潔く二輪を断念しよう」といかにも思い詰めたように独り言ちたのだ。彼女はたちまちこれを聞き咎め、「おとうさん! そんな弱気なこと言わんといて! 諦めたらあかん」と必死の面持ちで激励してくれた。これはひょっとすると、との「手ごたえ」を感じた。実技テストの試験官は、自動二輪車教習グループの先任教官たちがつとめることになっており、この女性教官が明日の試験官にあたる上司に老人の「苦境」と「悲壮なる覚悟」をそれとなく「上申」してくれるかも知れないとの思惑があったのである。

実技テストのコース・メニューは、いつも練習している何本かのメニューのうちから事前に公表される。課題を頭に叩き込んで、本番に臨んだ。出だしは比較的うまく行った。しかし、ひょっとしたらと思った途端、あろうことか一瞬、片足を路面に着いてしまった。片足を着くミスは四輪車の場合ならコースからの「脱輪」に相当し、即刻失格となる未熟錬行為である。しかし、管制塔から監視している試験官からは、「失格」の指示は出なかった。もしかしたら、私の着足ミスは試験官からは反対側のため見えなかったのかも知れない、いや見えなかったに違いないと自分自身に言い聞かせ、そ知らぬ顔をして全コースを走り終えた。

実技テストは2段階に分かれており、基礎課題をパスした受験者のみが次の特殊課題に進めることになっている。基礎課題が終了した段階で、事務所に失格者の番号のみが掲示される(基礎課題段階での失格者は滅多にないからだ)から、受験者は自分の番号がなかったら次の過程に進めることを知ることになるのである。今までは、毎回自分の番号が失格者欄に掲示されていたので慣れっこになっていたが、今回はないではないか。思わず事務所の係員に確かめると、番号のないひとは特殊課題(スラローム、急制動、一本橋)へ進めますよ、と不思議そうに答えた。最後、もともと自信のあった特殊課題(普通の人とは逆?!)のテストは無事終えることができた。事務所で待っていると、やがて最終結果が発表された。合格者のなかに自分の番号を発見し、じわじわとユーフォーリア(至福感)が湧きあがってきた。と同時に、この世には神も仏もあるものだ、と人情の機微に思い当たったのである。

私は早速、自動二輪車教習教官たちの控え所に飛んで行き、合格を報告し、誰彼となしに心をこめてお礼を言った。女性教官は満面笑みを浮かべ「ほんーまによかったねー。おめでとー!」と自分のことのように喜んでくれた。試験官をつとめた上司もいた。彼は顎だけこちらへしゃくって「お宅ねー、一般道路に出たら教習所のなかみたいには甘くないすよ。わかってますね! くれぐれも運転には注意してくださいよっ」と渋顔のまま、言葉を返した。私は「はーはっ、もちろんわかっとります!」と深々と頭を下げた。

会社に戻って職場に居残っていた女子社員たちに吉報を報告すると、わーっと駆け寄ってきた。いつの間にか職場では私の実技テストの成り行きについては禁句になっていたのだ。ことさら触れないように気を使ってくれていた彼女たちも、一気に喜びを爆発させてくれたのである。後日、手続きのために教習所を訪ねたとき、控え所に顔を出し、盛りだくさんの届け物を差し入れたのはいうまでもない。京都府の陸運事務所に運転免許証の交付手続きにでかけたときにも、係官から「こんな高齢の方で、自動二輪の免許を取られるのは珍しいですね。くれぐれも注意して、ツーリングを楽しんでください」と言われたものである。

 

鉄馬に跨る


私は早速、ホンダのAX−1という、250ccのスポーツタイプの自動二輪車を購入した。スポーツタイプではあるが、ダーツ専用のモトクロスタイプでもない。濃紺色と黄色と白色の車体の色分けも恰好よく、ツーリングとしても十分楽しめる機種である。会社の後輩に自動二輪車を乗り回している者が2、3いたので、一緒に乗り回した。ちなみにオートバイのライディングは、万一の事故の場合に備えて、原則として最低2車以上で走行することにきめていた。走行の舞台は主に、京都、滋賀、奈良、大阪各府県の林道である。近畿では山間部に古くから林道が四通八達しており、しかも100パーセント近く舗装されているから、走りやすい。一般道路は一般車両が疾走しているので、危険であり、また走っていて楽しくない。その点、林道は乗用車の通行は殆どなく、坂道かつカーブが多いので走るのに面白いのだ。日本の道路にはどんな山奥の道にも必ずカーブミラーが設置されており予め対向車を予測できるので、道が狭くても安全である。自動二輪車専用の地図も発行されており、重宝する。

自動二輪車は、よく「鉄馬」と形容される。自転車と違って自力で走ってくれる。出足のトルク(地面にぐいっと食い込む力)が心強い。2気筒エンジンの音が心地よい。車体を締め付けている太腿に伝わってくるエンジンの振動も心地よい。また、自動二輪車走行は、「風にたわむれる」とも言われる。乗用車と違って風を、まわりの景色を、地面の地肌を、直接肌で感じることができるのだ。車体との一体感、自然との一体感は、乗馬と同じである。とくに、夏の走行はすばらしい。

この代わり、乗用車に比べたら、危険も大きい。まず、四輪車は停止しても倒れることはないが、二輪車は停止したら足で支えない限り倒れる。降雨時のスリップ、路面凍結時の走行や砂利道走行中の転倒の危険性も高い。急ブレーキ時の前のめり・尻振り滑走や、走行中の乗用車から受ける風圧・陰圧も怖い。風を全身に受けるので、体が冷える。でも、これらの危険を冒してもなおかつ有り余るスリルと爽快さを味あうことができるのだ。二輪車の利点は、道路の渋滞や駐車場満車と無縁であることにもある。

 

老人、快走する

夏、山のなかの林道を走っていると湧き水が道を濡らしているところがある。こんなところでは蛇が体を冷やすためよく道の真ん中に長く横たわっているのだ。気がついたときにはもう間に合わない。轢かれた蛇がのたうち回っている姿がバックミラーに写っている。秋の夕暮れどき、峠道で野生の鹿にぱったり出遭うこともある。衝突したらこちらも転倒するから注意が必要だ。また、こんなこともあった。一度、京都の高雄から保津峡沿いに走っている眺望抜群の西山パークウエイを走ろうと思い立ち出かけたところ、丁度学校の夏休みの初日だったため、トル・ゲートのおじさんから「すみませんが、夏休み期間中は高校生のオートバイ事故防止のため自動二輪車は通行できません。お目受けしたところ、お宅さんは暴走運転をされる方には見えませんが、規則ですので・・・」と、丁重に断られた。

自動二輪車の運転には、両手両足、それぞれ別々の機能(クラッチ、ギアチェンジ、アクセル、ブレーキ)を果たさなければならない。それに、後述の体の倒しこみを含めて、コースとり、膝の開き、尻のずらしなど、運転に必要な機能を全身で分担し、かつ一体化して発揮しているのである。一般に誤解されているが、自動二輪車の場合は走行中はハンドルを切らない。ハンドルを切るとたちまち転倒する。カーヴを切るときには、ハンドルは動かさずに単に車体を曲がる方に倒すのである。外側へ遠心力が強く働くので、それに抗するためだ。TVでよく見る鈴鹿サーキットなどのオートバイレースで、ドライヴァーがカーヴでは内側の膝が路面に擦れるくらいに(実際、膝当てパットが擦れているらしい)倒しこんでいる様子をご覧になったことがあるだろう。ヘアピンカーヴで右に左に車体を倒しこみ、スロー・イン、ファスト・アウトのアクセル捌きをリズミカルに繰り返しながら疾駆するときの快感はこたえられない。まさにライディングの醍醐味ではある。京都の郊外では、洛北の花脊峠が恰好のルートである。自動二輪車を楽しむためには、自分で整備とチューニングまでやらねば一人前とは言えないが、私はそこまではいかなかった。その代わり、整備屋のおやじさんとは懇意になった。

非日常性の極致のひとつであるオートバイ・ライディングにうつつを抜かしていた私も、家人からしつこく言われ、古希を迎えたのを機に愛車を手放した。転ばぬ先の何とかである。しかし、夏、鉄馬に跨り、風にたわむれながら峠道や谷川沿いの林道を走り回り、自然と一体となったあの感触を、今でも忘れることはできない。そして、教習所スタッフからの粋な「贈り物」にひそかに感謝している次第である。
(2008.11)

 

 


 

●坂田晃司の晴登雨読人コラム・バックナンバー●

2009年01月掲載 彼岸の山登り

2009年02月掲載 ヒマラヤへの旅

2009年03月掲載 石岡繁雄著「屏風岩登攀記」を読む

2009年04月掲載 京都の北山を歩く(雲取山・芹生の里)

2009年05月掲載 ジャンボ!キリマンジャロ

2009年06月掲載 アフリカを読む

2009年07月掲載 梅里雪山

2009年08月掲載 黒部川・上の廊下の遡行

2009年09月掲載 あわや冤罪に

2009年10月掲載 榊原さんのこと

2009年11月掲載 冬季大峰奥駈道完全踏破

2009年12月掲載 アームズパークラグビー場

2010年01月掲載 「丁丑感舊」の旅 第一回

2010年02月掲載 「丁丑感舊」の旅 第二回

2010年02月掲載 「丁丑感舊」の旅 第三回

2010年03月掲載 「丁丑感舊」の旅 第四回

2010年04月掲載 谷川岳馬蹄形縦走

2010年05月掲載 鞍馬の火祭

2010年06月掲載 アルト・ハイデルベルク

2010年07月掲載 若い人を育てるということ



晴登雨読人・坂田晃司〜自己紹介

坂田晃司プロフィール1935年熊本生まれ。ラウム代表・池辺君の熊本済々黌高校時代の同級生です。現在は京都市内在住。滋賀のメーカーをリタイア後、健康づくりのため、また病気がちであった青春時代を取り戻すべく「山登り」を趣味としています。

私は、山登りも一種の「旅」である、と思っています。主として自分の足で、普段ひとの行かない奥地や高所に出かけ、大自然の営みを観察する、厳しい自然環境を肌で感じる…これら「非日常的」な行為によって得られる感動と達成感は、「非日常性」との出会いという意味では、本質的に普通の旅と同じものではないでしょうか。加えて、自分が越えてきた重畳たる山嶺の縦走路を振りかって見るとき、私はいつも、人間の足というものの偉大さにつくづく感じ入ります。二足歩行を侮ること勿れ、大袈裟にいえば人生そのものが、この一歩一歩の積み重ねによって紡がれているのだと言い切ってもよいでしょう。

熊本が生んだ明治の大ジャーナリスト・池辺三山の苗裔である池辺三郎君の、DNAに刷り込まれた編集者としての鋭い「嗅覚」によって、私が手慰みに折々書きとめていた駄文のありかがいつの間にか嗅ぎつけられ、その一部がこのサイトの一隅を汚すことになりました。恥をしのんでわが山旅のつれづれなる思い―「化石人間」の乾板に映った色褪せた心象風景に過ぎませんが―をさらけ出す次第です。

 


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