2008年2月に、キリマンシャロ登山をするためアフリカのタンザニアを訪ねたが、このことをきっかけにアフリカへの関心が強まり、今まで知らなかったアフリカ大陸のこと、アフリカの歴史や現状についての文献を次々に読みあさることになった。
きっかけをつくってくれた本の1冊は、ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」(中野好夫訳、岩波文庫)であり、もう1冊の本は諏訪兼位著の「アフリカから地球がわかる」(岩波ジュニア新書)である。期せずして、前者はヨーロッパ列強が19世紀にアフリカを植民地として分割し、「暗黒大陸」に貶めた帝国主義の実態を暴くきっかけを後世に残した本であり、後者はアフリカ大陸が、地球の歴史を刻む「古文書」であり、また人類発祥の「本籍地」であることを再認識させるきっかけになった本である。
いずれにしても、地球や人間の歴史について私たちの知らないことがいかに多いか、自分がいかに不勉強であったかを痛感させられる読書であった。
コンラッドの「闇の奥」
この本は今から100年も前に書かれた小説である。アフリカを舞台にした小説ではヘミングウェイの短編小説「キリマンジャロの雪」が有名であるが、恥ずかしながら私は「闇の奥」の存在をまったく知らなかった。コンラッドという小説家の名前も辛うじて昔聞いたことがあるかないかといった具合である。旅行から帰って、世界の通史の本を読んでいるとき帝国主義時代の箇所で、「闇の奥」という小説への言及があった。フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」という米国映画があったが、実は当初、「闇の奥」の映画化を企図したもののこれに失敗、代わりに「闇の奥」を翻案し、舞台をヴェトナム戦争に移して製作された映画であることを知った。どんな内容の小説かと気になっていたところ、偶然に古書店で岩波文庫本が目にとまった。早速買って読んでみた。コンラッドはポーランド生まれの英国人で、若いときは船乗りだった。彼はベルギー国王が私的に経営するアフリカのコンゴ川流域の象牙や生ゴム採集の会社に雇われ、小型汽船を操舵してコンゴ川を遡航したときの経験を素材にしてこの小説を書いた。小説の内容は単純ではあるが観念的で、正直いって具体的に何を描こうとしているのかよくわからないというのが実感だった。ところがまたまた偶然に書店で、藤永 茂の新訳で「闇の奥」が最近、三交社という出版社から出版されていることを知った。その「訳者あとがき」には、この本は文学作品としての価値は評価のわかれるところであるが、有名な社会学者ハンナ・アーレントによってそれが持つ重大な思想的意味が読み解かれ(ちなみに高橋哲哉は「記憶のエチカ」岩波書店刊で彼女の解釈を痛烈に批判)、その結果、ヨーロッパ列強によるアフリカ殖民地化と帝国主義の本質を暴く契機を後世に残してくれた本であることには間違いない、と書いてあった。同時に、「闇の奥」を新訳した藤永 茂氏が『「闇の奥」の奥』という本(2006)を三交社から刊行していることもわかった。小説「闇の奥」の舞台となった「コンゴ自由国」(国是が自由という意味ではなく、宗主国が他国の干渉を受けずに自由に運営できるという意味!)が、どのようにしてベルギー国王の私有植民地になったのかその経緯と、国王レオポルドUによるすさまじい現地人ホロコーストの実態が明らかにされているが、具体的内容はこれらの文献をお読みいただきたい。余談になるが、ナチスのホロコーストのみが喧伝され、ほぼ同時代に起きた同規模のこの惨劇が歴史の闇のなかに葬られている理由も明らかになる(「ホロコースト産業」三交社刊参照)。ちなみに、「コンゴ自由国」は1960年に独立を果たすが(現国名は「コンゴ民主共和国」)、モブツという比類なき独裁者が現れ、国も国民も30年余りに亘って塗炭の苦しみを味わうことになった(「井上信一著「モブツ・セセ・セコ物語」新風舎」)。モブツ政権が倒されたあとも隣国を巻き込んだ内乱が続いたが、最近ようやく大統領選挙が行われ民主的な手続きによる大統領が選出された。
独立を果たしたアフリカの多くの国は、今度はそれぞれの「腐敗した政府」によって国民が無秩序と貧困に落としいれられ、なんのことはない、搾取者が列強の宗主国から一部の私服を肥やす自国の指導者に代わっただけに過ぎないという状態が続いている現状は、悲劇というほかはない(ロバート・ゲスト著「アフリカ―苦悩する大陸」東洋経済新報社、松本仁一著「アフリカ・レポート」岩波新書)。
ルワンダにおけるフツ族によるツチ族の大虐殺についてのルポルタージュであるフィリップ・ゴーレイヴィッチ著「ジェノサイドの丘」(柳下毅一郎訳、WAVE出版、2003)も読んだが、このなかでも「闇の奥」が言及されている。旧ユーゴスラビアをはじめ現在でも世界中でホロコーストが起きているのに今更ながら驚愕する。紛争当事者の問題もさることながら、大惨事の事実を知りながら「損得」によって介入したりそれを放置したりしてきた先進大国の身勝手、無責任さを知り、絶望感すら覚える。
それにしても、私たちが知っている、あるいは知らされている歴史は、ほんの一部にしか過ぎないということを痛感する。世界中には、私たちが知らない<闇>がいっぱいあり、<闇の奥>をいかに見据えるか、そのための努力がいかに肝要であるかを再認識させられた。
「アフリカから地球がわかる」
この度、あるNPO法人が大阪で催した「アフリカ学」セミナー(3回)に出席する機会があった。砂漠の生成メカニズムや東アフリカを南北に縦断している大地溝のことなどスライドを基にした話は、自分もその地をつい最近歩いてきただけに大いに興趣をそそるものであった。
その講義のなかで、諏訪兼位著「アフリカから地球がわかる」(岩波ジュニア新書)を知った。不遜にも私は今まで、岩波ジュニア新書は中高生を対象にしたいわば入門書シリーズであるぐらいにしか認識しておらず、どんなラインアップか詳しくみたこともなかった。「アフリカから地球がわかる」を読んで、素人にもわかりやすく、最新の成果を取り入れた地球科学の恰好の解説書であることがわかった。ジュニア新書シリーズは、それぞれの分野の大家が達意の文章でしかも要領よくまとめたものであり、若いひとのみならず、専門外の社会人にも手ごろの入門書となっている。とくに文系の人間にとっては、理系分野の専門書は難解であるが、ジュニア新書シリーズは初心者にとって恰好の手引書となることを知った。「地球は火山がつくった」(鎌田浩毅著)など何冊か読んだが、各書には巻末にその分野の関係文献がリストアップされており、たいへん参考になる。なかでも、「人類進化の700万年」(三井 誠著)は興味深かった。人とチンパンジーとの間の遺伝情報の違いは、わずか1・23パーセントしかないといわれると、にわかに人間としての自信と誇りが揺らぐ。前述の諏訪著から「裂ける大地 アフリカ大地溝の謎」(諏訪兼位、講談社選書メチエ、現在は品切れ)を知り、古書店で入手した。2億年前の先カンブリア紀には南極大陸、アフリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア、インド大陸はひとつの塊(ゴンドワナ大陸)であり、その後移動して現在の位置(ちなみに、インド大陸はユーラシア大陸と接合し、ヒマラヤ山脈をつくった)に分かれたとするヴェーゲナーの大陸移動説(岩波文庫から「大陸と海洋の起源」という書名で翻訳が出ている)が詳しく紹介されている。この説を根拠づける証拠にアフリカ大陸と南アメリカ大陸をくっつけると双方の海岸線がぴったり接合する。その時期、アマゾン川とニジェール川は同じ一本の川だったのだ。また、アフリカ大陸とアラビア半島とを隔てている紅海はアフリカ大地溝の北端(あとで海水が流れ込んだ)であり、今から1億年後にはケニアとタンザニアの半分はアフリカ大陸から500キロメーター隔てた「東アフリカ大陸(島?)」に引き裂かれるだろう、等々。地球の大地は不動のものと思いこんでいる私たちをびっくりさせる内容が満載されている。
「人類進化の700万年」によれば、生物が40億年まえに地球上に誕生してから今日までの時間を1年にたとえれば、700万年前にヒトがチンパンジーとの共同祖先から分かれて独自の進化を始めたのは12月31日の午前8時30分になるそうである。この伝でいえば、有史以降の人間の歴史の長さは、除夜の鐘が鳴り終わる寸前ということになろう。宇宙の現象を計るものさしは「光年」であり、地球科学上の現象を計るものさしの多くは「億年」単位である。いずれも私たちの日常の生活感覚からは理解を超えたものだ。磐石不動の大地と思っていた大陸が実は地球中を動き回り、地球を我がもの顔で傷つけている人類の歴史が地球のそれに比べたら瞬時に過ぎないということを知り、人類の存在の「軽さ」と「傲慢さ」に、あらためて思いを致したことである。
地球は今、人口の急増、温暖化、砂漠化、水・食料・資源の枯渇、疫病の瀰漫等々のほか地域紛争に明け暮れており、危機的状況にある。考えてみると、一部の現象を除きこれ等の問題はすべて人類が招来したものである。しかもこれらの現象は、アフリカに顕著にみられる。アフリカの問題はやがて地球全体の問題になるだろう。私たちにとってアフリカ大陸は物理的にも心理的にも遠い存在であるかも知れないが、前述の意味で今、私たちにとってアフリカに関心をもつことはきわめて大事なことではないかと思う次第である。
(2008.7)
●坂田晃司の晴登雨読人コラム・バックナンバー●
1935年熊本生まれ。ラウム代表・池辺君の熊本済々黌高校時代の同級生です。現在は京都市内在住。滋賀のメーカーをリタイア後、健康づくりのため、また病気がちであった青春時代を取り戻すべく「山登り」を趣味としています。
私は、山登りも一種の「旅」である、と思っています。主として自分の足で、普段ひとの行かない奥地や高所に出かけ、大自然の営みを観察する、厳しい自然環境を肌で感じる…これら「非日常的」な行為によって得られる感動と達成感は、「非日常性」との出会いという意味では、本質的に普通の旅と同じものではないでしょうか。加えて、自分が越えてきた重畳たる山嶺の縦走路を振りかって見るとき、私はいつも、人間の足というものの偉大さにつくづく感じ入ります。二足歩行を侮ること勿れ、大袈裟にいえば人生そのものが、この一歩一歩の積み重ねによって紡がれているのだと言い切ってもよいでしょう。
熊本が生んだ明治の大ジャーナリスト・池辺三山の苗裔である池辺三郎君の、DNAに刷り込まれた編集者としての鋭い「嗅覚」によって、私が手慰みに折々書きとめていた駄文のありかがいつの間にか嗅ぎつけられ、その一部がこのサイトの一隅を汚すことになりました。恥をしのんでわが山旅のつれづれなる思い―「化石人間」の乾板に映った色褪せた心象風景に過ぎませんが―をさらけ出す次第です。