大阪労山の皆さん。私は、今回、京都府北桑田郡美山町の「廃村八丁」付近で行われた大阪労山特別企画の総合救助訓練では、ミステリーツアー(M本E子隊)に参加しました。訓練には、今年主管担当のわが山の会から多くの「名優」たちが出演、まるでわが会の「顔見世興行」の観がありました。私たちM本隊は、ハイキング中、偶然に「遭難事故」の現場に遭遇し、救助活動を見学するという、ちょっと手の込んだ趣向です。したがって、隊員には「遭難場所」は伏せてあります。隊長のM本さんの分刻みの時間コントロールが効を奏し、運よくクライマックスの場面に「遭遇」することができました(喉まで出かかっていた「遭難現場」を、M本おばさんは必死で最後まで口中におし止め、趣向を盛り上げました)。「遭難現場」では、「負傷」した遭難者を背負った、息も切れ切れの救助隊員とそれを前後両脇からサポートする救助隊員たち、「負傷者」の安堵と苦痛の入り混じった空ろな表情(演技賞ものです!)、急斜面の木立のなかを走りまわってフィックスロープをセットする工作係、大声で連絡・復唱しあう通信係等々、確認の怒声が飛び交う殺気立った空気に、見学者は弾き飛ばされるような迫真の情景でした。
関係者の皆さんは、緊張感と達成感で、まだ興奮から十分覚めきっておられぬと思います。そこで、裏舞台で同時展開されたもうひとつのドラマをご紹介して、皆さんの肩の凝りをほぐして差し上げようと一筆啓上する次第です。
私たちミステリーツアー隊10名は、前日、近くの八ヶ峰(800m)に登り、ブナの新緑と頂上からの展望を堪能したあと、「訓練現地本部」からほど近い佐々里の民宿「ハリマ家」に宿泊しました。翌日の救助訓練で「第一発見者」たらんと意気込む皆さんは、宴会では牛飲馬食を競い、8時には打ち揃って轟沈してしまいました。しかし私は、皆さんのパタンキューで一斉に唸り出した、けたたましい「ノイズ」の所為で寝そびれてしまいました。輾転反側していると9時半ごろ外で、「M本さーん、H部さーん」と呼ぶ声がします。はじめ、何のことかわかりませんでしたが、声に聞き覚えがあったので、2階の窓から暗がりを透かして下を見ると、なんとそこに、「遭難」しているはずのI山さん、K西さん、S本さんがいるではありませんか。・・・「私たち、ただいま自力下山しましたーあ。よって、明日の救助活動は必要なくなりましたーあ。」の声に、「それは祝着! お役目、大儀であったのう」などと軽口の応酬をしました。・・・大阪労山の最高責任者であるH部理事長に「夜襲」をかけるのが、「遭難現場」に向かう途中、夜陰に紛れて宿舎の戸を叩いた一行の目的だったようですが、理事長当人はすでに高鼾の最中で、声を掛けてもムニャムニャ。3人は諦め、「今夜は車の中で寝まーす」といって立ち去りました。あとは、カジカの妙なる鳴き声と人間の「咆哮」のみがしじまを破る夜半(よわ)の月。たしかに、一瞬の幻覚ともいえるような出来事ではありました。
翌日、朝食時に私は、皆さんの若者顔負けの爆睡ぶりを揶揄する意味合いをこめて、昨夜の出来事を、何ごとも隠さず、何ごとも付け加えず、ありのまま披露しました。ところが、「未だ行方不明の遭難者」が夜中に現れるはずがないとの「固定観念」に嵌まってしまっている皆さん、頭からこれを全部私の手の込んだ「創作」であると決めてかかり、誰ひとり真に受けないのです。私が向きになればなるほど、皆さんはニヤニヤ笑いながら、「あんたにはこれまで何回やられたか、もう騙されんぞ。狼老人!」、「幻聴でしょ」、「幻覚だと、症状はかなり重いね」、ついには「恍惚爺!」などと言葉を尽くして面罵する始末です。今回はじめて顔を合わせたメンバーも、山の会にはこんな性質(たち)の悪い「不良老人」がいるのかと言わんばかりの白眼視。挙句のはて、理事長に至っては、「明日の救助活動は中止」の軽口は例えジョークとはいえ許せぬとばかり、「爺さんよ(人を誑かすのもいい加減にせんかい)、救助隊員の前では、白い歯を見せたらあかんで」との止めの一刺しを食らってしまいました。私は、絶望感に打ちのめされ、もう黙って頷くよりほかありませんでした。
「遭難現場」の雰囲気は前述のとおりです。私は、もちろん「狼老人」の汚名を雪ぐべく、本番のつもりで救助活動に参加することを決意しました。老人が割り込む余地はほとんどありませんでしたが、工作隊がセットしたフィックスロープを撤去するのを手伝ったり、救助活動の模様を写真に収めたりと、前回の山行で痛めた膝の痛みも忘れ、健気に動きまわったのです。しかし、現場の指揮責任者からはその都度一般のハイカーと間違えられ、「訓練をやっておりますので、ご迷惑をかけます!」と何回も謝られるような始末。客観的には、まったくのお邪魔虫に終わりました。
訓練終了後、K西さんやI山さんの「証言」により、私の「濡れ衣」はようやく晴れました。この「事件」は、図らずも皆さんの救助訓練に対する思い入れの強さを証明する形になりましたが、自分がいかに人さまに信用されていないかを思い知らされた一幕でもありました。これも普段の行いが悪いことが招来した、「身から出た錆び」というほかありません。しかし、考えてみると、これは世にある「冤罪事件」と同じ構図です。もし証拠や証言がなければ、と思うとぞっとします。最後、自分の身を護るのは、「普段のよい行い」しかないということです。その点自分ではこれまで、「真面目」が背広を着て歩いているような人間であると自己分析していたのですが、人さまの目にはまったくそうは映っていないとすれば、その落差は大きい。どこでどう間違ったのでしょうか。普段の行いが「マジ」でないあなた、他山の石として、お気をつけ遊ばせ。
つらつら考えるに、あのとき皆さんを強引に叩き起こしていれば、つまり証人をこさえておけばなんの問題もなかったのです。折角熟睡しているのに可哀想だとつい仏心を起こしたのがいけなかったのですね。まさに、「タフ(非情)でなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない」(レイモンド・チャンドラーの一連のハードボイルド小説の主人公、探偵フィリップ・マーロウ)の絶対矛盾。それをいかに止揚するか、「そこが渡世人の辛れーところよ」(寅さん)。
危うく「冤罪」を免れ、皆さんにいただいた形の折角の「余生」、世の片隅で静かに送りまーすと殊勝な言挙げをしたいところですが、世捨て人になりきれない「不良老人」のこと、そうもいかないところが辛いところです、ハイ。
(2006.6)
●坂田晃司の晴登雨読人コラム・バックナンバー●
1935年熊本生まれ。ラウム代表・池辺君の熊本済々黌高校時代の同級生です。現在は京都市内在住。滋賀のメーカーをリタイア後、健康づくりのため、また病気がちであった青春時代を取り戻すべく「山登り」を趣味としています。
私は、山登りも一種の「旅」である、と思っています。主として自分の足で、普段ひとの行かない奥地や高所に出かけ、大自然の営みを観察する、厳しい自然環境を肌で感じる…これら「非日常的」な行為によって得られる感動と達成感は、「非日常性」との出会いという意味では、本質的に普通の旅と同じものではないでしょうか。加えて、自分が越えてきた重畳たる山嶺の縦走路を振りかって見るとき、私はいつも、人間の足というものの偉大さにつくづく感じ入ります。二足歩行を侮ること勿れ、大袈裟にいえば人生そのものが、この一歩一歩の積み重ねによって紡がれているのだと言い切ってもよいでしょう。
熊本が生んだ明治の大ジャーナリスト・池辺三山の苗裔である池辺三郎君の、DNAに刷り込まれた編集者としての鋭い「嗅覚」によって、私が手慰みに折々書きとめていた駄文のありかがいつの間にか嗅ぎつけられ、その一部がこのサイトの一隅を汚すことになりました。恥をしのんでわが山旅のつれづれなる思い―「化石人間」の乾板に映った色褪せた心象風景に過ぎませんが―をさらけ出す次第です。